『向田邦子ベスト・エッセイ』その永遠性とは

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向田邦子のエッセイは文学界のおつまみ?

向田邦子のエッセイが読みたい。そうやってふとその存在を思い浮かばせる作家はどれほどいるだろうか。

1929年に東京に生まれて、テレビドラマの脚本家として数々のヒット作を生み出してきた向田邦子氏は、小説家、エッセイストととしても活躍した多彩な一面を持つ昭和を代表する作家である。そんな向田邦子氏の作品は学校の教材として扱われることも多く、平成を生きてきた人間にとっても身近な存在だ。

その中でも氏のエッセイは、少ない文量で文学的で洗練された文章に触れることができ、ちょっと読書したいな…でも、エンタメ色が強いのも、テーマが重いものもいやだな…という、怠惰で贅沢な人間の格好の選択肢なのである。誤解を恐れずに言えば向田氏のエッセイは「文学のおつまみ」のような存在なのではないのだろうか。

更に、その人気から多くのベストエッセイ集が出てるのだから完璧である。没後40年の2年前の2020年に、氏の妹である向田氏により一部選出されたという『向田邦子ベスト・エッセイ』。

書店にて平置きされていたので、上記のような部類の人間の中でもとりわけ怠惰で贅沢な筆者は高速で手に取って、憂鬱な朝の通勤電車の中でパラパラと気ままに読み進めた。

あまりスピリチュアル的なことは言いたくないのだが、ぼうっと、なんとなく求めているものを意識していると、ぽっと目の前に適当なものが出現するのだから不思議なものである。その時は、自販機で当たりを引いて2本目を悩んでる間に時間切れにならぬように、二の足を踏まずにいたいものである。

それにしても40年以上経った今でも色褪せないその鮮やかで巧みな描写力は改めて脱帽である。その魅力は巻末の角田光代氏の解説そのままだ。戦争を体験し、昭和の時代の家庭を象徴するような厳格な父親と従順な母親のもとで生まれ、経済が成長する中、自らは出版業界から始まりテレビの世界でも成功して華々しいキャリアを築いていく。

時代背景が全く違うエッセイであるのに、本質を捉える向田氏の物事へのまなざしは今を生きる読者にも強烈な共感を覚えさせ、その世界観に引き込まれる。

向田邦子の二面性

親兄弟や故郷への思いやりや食への細やかな感性、日常生活の中での発見。それらは人の心の柔らかい部分に訴えかけるが、最後に選出されたエッセイ『手袋をさがす』で伺えるような冒険的で挑戦的な性質を持つのもまた氏の一面である。

このエッセイでは当時四谷の映画会社に勤めていた向田氏が、気に入った手袋が見つからず手袋をしないまま冬を越そうとしていたら、上司にそばを食べながらその様子をとがめられたという象徴的な体験をつづっている。

向田氏は幼少期よりもっと自分に合うものがあるのではないか、いいものがあるんじゃないかと考える子供で、またそういう自分に優越感を持っているきらいがあったそうで、その指摘にはっとして、自らの人生について考えさせられる。「今晩、この瞬間だ」。

四谷の裏通りで、今ここでほどほどに納得できる人生を選び、そこそこの幸せを手に入れようと決意しようとしたが、それが逆にあるがままの自分で生きる決心をさせるきっかけになる。

金輪際、反省するのをやめ、自分の処世術や見栄からくる気休めの反省を毎日繰り返すぐらいなら居直ってしまおうと考えを転換させる。その夜の電車の中で、今まで自分の性格の中でここがいやだ、直さなければいけないと感じることを試しにみんなやってみようと決める。

このエッセイでは最後に、若い時に純粋なあまりムキになり、自分を責めて個性をなくしてしまってはもったいないとささやかに伝えてくれていて、励まされる気持ちになる読者も少なくたいだろう。

このエッセイではまた、向田氏は「清貧」という言葉が嫌いとはっきりつづっている。(「謙遜」も好きではないと)清貧はやせがまん、謙遜はおごりと偽善に見えてならないと痛烈で、戦後間もない昭和初期に幼少期を過ごした経験から生まれた反骨心のようにもとれる。

機敏を感じ取る感受性と冒険心。向田氏の内面に限ったことではなく、そのような相反する二面性は誰しもが持ちうることである。

向田氏が飛行機事故に遭い、まだまだ先の長かった生涯の幕を閉じたことは、そのあまりにも悲しい最期により知られている。

筆者はとりわけ宿命などを信じているわけではないのだが、ベストエッセイ集では『ヒコーキ』という題の向田氏の飛行機への恐怖心をつづったエッセイも選出されており、それを読むと宿命のようなものをさすがに感じざるを得なかった。

旅行の出発時に縁起を担いで部屋を汚いままにして出ていたほどだというが、それでも氏の旅行への情熱は計り知れないものだった。このベストエッセイ集でも、ニューヨーク、モロッコ、沖縄など国外問わず多くの地名が出てくる。

『反芻旅行』という題の母親に香港旅行をプレゼントしたというエッセイでは、親孝行な向田氏の一面がうかがえる。奇しくも、向田氏が亡くなったのは自身の初めての香港旅行への道中だった。

永遠に残り続けるその存在

テレビ業界という華やかな世界に生き、界隈の著名人とも親しく付き合いながら、隠し切れない素朴で豊かな感受性を持つ女性。しかし、したたかな面もプライドを持って存在する。また、飛行機嫌いなのに無類の旅行好き。

『お軽勘定』というエッセイでは、人間はその個性に合った事件に出逢うものだ、と引用し、人間は出逢った事件で個性を作り上げていくものだと思っていたが、事件の方が人間を選ぶと気づきを得たとつづる。

こういった象徴的な言葉がベストエッセイ集の随所にちりばめられている。相反するものの中で揺らぐ特別な才を持った向田氏は、時代に選ばれてしまったか。

決してそんな風に軽々しく向田氏という人物をまとめたくはないが、その生を全うし、さまざまな形で我々に生きることとは何かという本質的なものを伝えてくれた氏の文筆の数々は、今後世代を超えていつまでも私たちの心に瑞々しいまま残り続けるだろう。あるいは、消滅しても実質は消滅にいたらないのだ。

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それにしても『わたしと職業』というエッセイは働く女性にはいい教示である。女が職業を持つ場合は、義務だけで働いて楽しんでないと顔つきが険しくなると。どんな小さなことでもいいから自分で1日1つ楽しいことを見つけるように心がけていると向田氏。

改めて、精神的にも経済的にも自立した、大人の女性として憧れの対象である。