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今回は教材にもよく取り上げられる現代詩の旗手、谷川俊太郎の詩集のご紹介です!
Contents
売れてる現代詩人、谷川俊太郎
- 1931年生まれの90歳を迎えた大御所!
- 代表作は処女作の『二十億光年の孤独』!
- 『スイミー』など絵本の翻訳でも有名!
現代詩で食べていけるのは谷川俊太郎氏ぐらいだといわれています。
なぜでしょうか。
それは、小学校の教科書にも載るような、「わかりやすさ」「解明しやすさ」によるでしょう。
非常にポピュラーな面も持ち、言葉の組み合わせのセンスが抜群、遊び心があり、その中でキラリと光る叙情性。
そこにはきちんと売れる理由があるわけです。
余談ですが、谷川氏の『自己紹介』という詩の中で、「私の書く詩には値段がつくことがあります」という一文があります。
どこか詩の世界では商業的要素は同時に語られることが避けられている中で、金銭について明言しあっけらかんとして明るい谷川氏。
と、なんだか仰々しく語っていますが、筆者は一冊にまとまった谷川氏の作品を読むのは初めてでした。
筆者は純文学などのいわゆる「本筋」のものに取り組むには大変腰が重いのです。
やはりどんなに取り繕っても「ポピュラーさ」「気軽さ」を好む節は否めないのですが、この『夜のミッキー・マウス』は強烈なキャッチーを魅力に感じ手にとりました。
ただのミッキー・マウスではく「夜の」「ミッキー・マウス」なのです。
醒めるようなブルーを背景に銀の横文字で文字が入る装丁の文庫本にある紹介文はこちらです。
詩人はいつも宇宙に恋をしている。作者にも予想がつかないしかたで生まれてきた言葉が、光を放つ。「夜のミッキー・マウス」「朝のドナルド・ダック」「詩に吠えかかるプルートー」そして「百三歳になったトム」。
『夜のミッキー・マウス』
ミッキー・マウスもドナルド・ダックもプルートーもアトムも、時空を超えて存在している。・・・(略)現代を代表する詩人の彩り豊かな30篇。
こちらの紹介文にある「詩人はいつも宇宙に恋している」というのは『二十億光年の孤独』にある宇宙の孤独についての詩からの一文ですね!
続々と続く魅力的なタイトル!
目次を開けば、またまた面白みのあるタイトルが並びます。
表題の『夜のミッキー・マウス』はもちろん、紹介文にもある『朝のドナルド・ダック』、『詩に吠えかかるプルートー』、『百三歳になったアトム』の3作。
『ああ』、『不機嫌な妻』、『有機物としてのフェミニスト』、『スイッチが入らない知識人』、『愛をおろそかにしてきた会計士』、『目覚める前』、『あのひとが来て』、『ひとつまみの塩』と続きます。
タイトルを聞いただけで、その先の想像が勝手に浮かび上がるような、でもやっぱり想像力が欠如して、すぐに目次をめくってしまいます。
と、ここまで大絶賛を繰り広げましたが、表題の四作はそこまで私の胸に迫るものではありませんでした。
モチーフがミッキー、ドナルド、プルートー、アトムということもありわくわくするのですが、どこか無機質さ、抽象さを感じます。
私の理解が追いつかなかったということもありますが、むしろ私の胸に迫ったのはタイトルがさほど気にかからなかった詩編の方でした。
極めて性的な表現が多い『ああ』と『なんでもおまんこ』という詩は性のことを題材にしているがゆえ、人間くさく生々しいストレートな表現が荒々しくて新鮮に感じました。
『いまぼくに』は氏の死生観を潔く心地よく感じ、励まされます。『世界への睦言』の宇宙観も新たな世界に連れていってくれます。
とはいっても、全体でいうとあとひと波ほしいかもしれない…と思い本を閉じようとすると、あとがきのあとに谷川氏から素敵なプレゼントが待っていました。
小さな額縁の中のモノクロ写真
『闇の豊かさ』
木に寄りかかっている子どもが二人
何十年も前の午後の日差しの中の兄と妹
シャッターがきられたその日と
今日とのあいだの日々に存在した
割れたグラスや小さくなったシャツ
焦げてしまったパンケーキ
読み終えた何冊もの本
鉛のような気持ち
美し過ぎた音楽
テレビでしか見ることのなかった戦争・・・
今はもうほとんど退屈な細部なのに
それらが時折痛いような光となって
私の内部を照らし出し
私は知る
自分と世界をむすぶ闇の豊かさを
ミッキー・マウスもいいけれど、「闇の・豊かさ」という言葉の組み合わせの素晴らしさは静かにキラリと光っています。
そうして本編に進むと、塵が積もっていいくように心に降ってくる言葉たちと浮かび上がる映像、自分を重ね合わせ着地します。
最新の詩が常に最高な谷川俊太郎氏です。